この記事は2013年7月6日に行われた「ツール・ド・東伊豆」へのアナザーストーリー「もう一つのツール・ド・東伊豆」を新たに書き起こした記事です。

メッセンジャーはいつだって自転車が大好きなんでしょ?と思われがちである。
休日に遠くまでツーリングに行ったりするタイプもいれば、自転車に指一本触れないまま月曜日を迎えるタイプもいる。僕はというと……典型的な後者だ。

「ツール・ド・フランス」も観たことない、ロードバイクすら持っていない。
しかし…出ることになってしまった……社内ロードレース大会「ツール・ド・東伊豆」。

総勢15人が出場、3チームでの団体戦として振り分けられたうちのメンバーは、
●社長ヤナケン ●ホッピーことジロー ●チョモことイチロー ●おやつ ●僕の五人。

この中でチョモと僕の二人はピストでの出場。
一応解説、ピストとはギアが一枚なので変速が出来ない。山岳コースにおいては、雑な言い方をすれば軽いママチャリでしかない。

レース展開は想像がついた。
ホッピーがぶっちぎりで独走、残りの四人は途中でおいしそうな蕎麦屋とか見つけたら最後、勝負を忘れてくつろいでしまうだろう。
そして先にゴールしたホッピーが「あいつら何やってんだよ…フザケンナヨバカヤロ…!」とカリカリしながらお腹もカリカリかいている、という展開。

彼は僕に言った。
「ロードレースにピストで出るなんてバカですよ。おれだったら出ないですよ。」
勝負師の彼らしい。彼は機材にも妥協を許さない。
…そうだ、これはツーリングではない。勝負なんだ!

ミドリビンカ

でもマシンは、商売道具として愛用しているミドリビンカで走りたかった。
これでどこまで勝負出来るか?
その一部始終をつづった悪あがき日記をご紹介致します。

2013年6月28日(金)

レース1週間前、コースの詳細が発表された。
伊豆半島の東側を回るルートで、全長100キロが4つのステージに区切られている。距離こそ長くはないが、かなりの山岳ステージもあるという。
同僚たちは、ルートを調べたりパーツを替えたりと、静かに燃え始めた。

東伊豆ルートマップ変更前

僕はとりあえずハンドル周りをいじってみた。
日東B123ドロップハンドル340mmを、幅の広い400mmのロード用に替え、ブレーキレバーをブラケットの物に。見た目は好みではないのだが登り仕様にした。

そして何よりもギア比のセッティングだ。この選択が勝負を決めるといっていいだろう。
まずは登り用を考える。普段使っている厚歯でいくとチェーンリングの最小が42T、コグの最大はフリーで20Tというのが市販されていた=ギア比は2.1。相当軽い。
だがそれでもこのレース最大の難所、山伏峠は登れないらしい。
手持ちのパーツをひっくり返していると、10年以上前に初めて買ったマウンテンバイクについていたクランクが出てきた。ずっしりと重いそいつのほこりを払って見てみると、チェーンリングの最小が22!軸が四角い時代の物で、右クランクだけつけ替えることも出来る。トラックレースでも薄歯を使ったことがあるので対応する規格は知っていた。「6~8速」のチェーンと薄歯のコグで組み合わせれば……いける!

両切りホイールも駆使すれば、何種類かのギア比が使える。大丈夫だろう。
登りは1.5を切るぐらいの軽さの固定ギアがいいかな、下りはなるべく大きいフリーギアにしよう。
実際にマウンテン用のクランクをつけてみた。チェーンラインは問題ない。しかしチェーンリングの大きさに差がありすぎるため、インナー使用時にホイールを後方に引くと、トラックエンドのスライド幅を最大限に使ってもシャフトがエンドからこぼれ落ちてしまう。つまりチェーンが長過ぎる。

ミドリビンカ エンド

チェーンの長さは一本ではダメだということが判明した。

スペアのチェーンを持って走る?
コグを交換する必要もあるか?
各ステージのゴール地点で交換するなら、サポートカーに道具を預けて走れるか?
チェーンリングを外すのはめんどくさいから、いっそのことクランクごと換えちゃうか?
ならば厚歯も併用するか?
……仕事中も、ギア比のことばかり考えながら過ごした。

※ここからは、メカニック関係の方は決して読まないで下さい(苦笑)。

通勤で246を走っている時に、あるアイディアがひらめいた。
それは、マウンテンのクランクをフリー用として使い、さらに左側に固定ギア用のクランクをつけること!
つまり左右両側にチェーンリングを備えた、いわば「クランクの両切り」。
もちろん、両切りハブにもフリーと固定のコグをセットする。
これによってチェーンを換えるだけで薄歯フリーと厚歯固定の二種のギア比が使い分けられる。

ミドリビンカ 両切りクランク

ここでまた一応解説。

  • 「フリーギア」とは、走っている時に脚を止めるとチ~~~と空回りする一般的なホイールのことで、コグ(歯車)にその仕組みが内蔵されている。
  • 「固定ギア」のコグは、その仕組みが無いただシンプルな歯車だ。ペダルとホイールがチェーンで連動して(一輪車の様に)動き、後ろ向きに踏むことで減速をする。さらにやろうと思えば後ろにも進める。そして剛性を重視して厚いチェーンを使うことが多い。その規格が厚歯用といわれるものだ。

競輪などトラック競技のピストには安全のため(!)ブレーキをつけないので、走っている間はずっと脚を回しながらコントロールをする。

マウンテンのクランクを右側にしたのは、もちろんフリーコグが空回りする回転方向があるからだ(もし左側につけたとしたら、前に進めないエアロバイクになってしまう)。
そして固定ギアなら左側につけても前に進める、というわけだ。
現にうちの社長ヤナケンはクランクを左につけている。当然、ペダルを踏むとコグがネジ山から外れる方向に力が作用するが、ロックリングを思い切り締めていれば問題ないと言っていた(よい子は決して真似をしない様に)。

長さの異なる、フリー用薄歯と固定用厚歯の2本のチェーンを用意し、走る時には片方のチェーンとジョイントをポケットに入れておくという、おそらく人類史上誰も試みた者はいないであろうアイディア。
……ここまででお気づきの方もいることでしょう……そう、ロードバイクがあれば済む話なのだ。
つくづく自転車の進化の歴史は、試行錯誤の歴史であることを思い知らされた。

手持ちのコグを並べ、ギア比の表を書き出し、地図をにらみ、頭を抱える数日間を過ごした。

7/4(木)明け方4:00

チェーンオイルにまみれうとうとしつつも、使うギアはとりあえず決まった。

これが僕の作戦の全てだ。

  • 第1ステージ
    熱海駅前からは固定ギアでスタート。
    ▲山伏峠に登り始める地点で、まずは両切りホイールをひっくり返して軽いフリーギアにする。→そのままフリーで下る。
  • 第2ステージ
    修善寺から天城峠へのダラダラ登りには、またホイールをひっくり返して固定ギアに。
  • 第3ステージ
    天城峠山頂でコグとチェーンを交換し、下り&海岸線仕様の重いフリーギアにする。
  • 第4ステージ
    熱川からゴールの宇佐美までもそのまま。多少のアップダウンは二枚あるコグのどちらかでなんとかなるだろう。

もう一つのツールド東伊豆 ギア比表

なんだ、走っている途中でシフトチェンジするのは山伏峠手前の一回だけだ。

最終的に、使うクランクはマウンテン1本にした。チェーンは「6~8速用」を2本。両切りホイールを活用することを考えて、コグはフリー&固定ともに薄歯に揃えた。
思いついた時には身震いさえした「クランクの両切り」は、仮組みしてはみたもののやっぱりやめた。
理由は単純に、重すぎるからだ(苦笑)。
クロモリのピストフレームに右クランクを2つくっつけてヒルクライムに行くバカはいない。
ギリギリ気づいた。

フッフッフッ…完璧だ。僕はニヤリとし、朝日のなか眠りに落ちた。

7/5(金)レース前日

ホッピー先生はお腹をかきながら鼻で笑った。
「それは100年前のツールですよ。」

ウールのジャージに身を包み、ギアの変速なんてなかった時代。選手の親戚の叔父さんとかが、山のふもとで替えのホイールや新聞紙に包んだアップルパイなんかを持って待ち構えていたのだろう。
それはそれでいい時代だと思う。
今は100年後ではあるが、トラックレーサーで走ると決めたんだからしょうがない。100年前のロードレーサーよりは軽いだろう。
当時の選手だってアルプスを越えたんだ。
伊豆ぐらい越えられないわけがない。

黒いトリプルのクランクをつけた違和感あふれるピストで一日の業務を終えると、僕は浜松町の職場から品川駅に向かった。
横浜市内の自宅まで30キロ走ってから翌朝早く熱海駅に向かうぐらいなら、今晩のうちに熱海に直行しちゃう方が休めるんじゃないかと。
100円ショップで買った自転車カバーをミドリビンカにかぶせ、さも輪行バッグかの様な面をして新幹線に乗り込んだ。
……胸が高鳴った。勝負に一歩リードしている(?)優越感。新幹線で温泉街に向かっているこのブルジョワ感。なんて贅沢なんだ。
横浜本社のみんなは今夜、せいぜいボケーッとチェーンに油を差して過ごすぐらいだろう。なんてマヌケなやつらなんだ。

町並みはだんだんさびれていき、そして夕闇に包まれていった。

熱海の夜。そこにはスマートボールとか場末のストリップとかの誘惑があるのだろうか。
しかし、僕の準備はまだ終わっていなかった。
天城峠を下ることから始まり、海岸線を走る後半のコース。アップダウンはどれぐらいのものなのか身体で確かめておきたかった。まだその区間のギア比に迷いがあった。
外はもう暗くなっていたが、えーい行っちゃえと熱海から伊豆急に乗り換え、海岸沿いのコースが始まる辺りの河津(かわづ)という駅で降りることにした。

トンネルを抜けると、そこは雨だった。

時刻は21:00過ぎ。
まさか降るとは思わず、雨具なんか何も持って来ていなかった。バックパックには、スプロケ外しとかロックリング外しとかスペアのチェーンとか、無駄に重い物しか入っていない。
とりあえず熱海方面に走れるだけ走ってみようか…。

真っ暗な道が続く。
そして静岡の雨つぶはデカイ(気がする)。
街灯が極端に少ない夜の135号線は、大げさではなく何も見えない。実際、左肩が何度も崖にぶつかった。半島の東側を北上するので左側に山があるが、南下する方向だったら海に落っこちてクラゲのエサになっていてもおかしくない。今、僕が伊豆にいることは誰も知らない。誰にも知られずに海の藻屑と消えるのはわびしすぎるというものだ。
時おり車が通りすぎる時にだけ道が照らされる。だがその見返りに派手に水しぶきをくらう。その繰り返しでズブ濡れになりながらそろりそろりと走った。
ギア比の参考になんてまったくならず、滝の荒行みたいなライドである。
うわあ、こんなことならボケーッとチェーンに油を差して過ごせば良かった…。
早く熱いシャワーを浴びて、旅館の冷たくて固いシーツで眠りてえなあ……。
そんなことばかり考えはじめた。

そんなライドでどれだけ進んだ頃だろうか、ふと空を見上げると、雨雲の切れ間に星がまたたいていた。
空気がきれいなのか、静岡は星も大きく見える(気がする)。

「ツール・ド・東伊豆」で星を見るのもおれ一人ぐらいだろうなあ……。そう思うと、この自分だけのツールもなかなか悪くないと感じた(15秒ぐらいだけ)。

やっと泊まれそうな町が見えてきた!
熱川。
ちょうど第3ステージのゴール地点でもある。

もう一つのツールド東伊豆 熱川宿探し

時刻はすでに22:00をまわっていた。そういえば夕飯もまだだった。ところどころから湯けむりが立ちのぼっていて雰囲気がいいぞ。坂道をくねくね下って行き、灯りのついている宿を探す。

「すいませーん、一人で素泊まりなんですけど、今日空いてますか?」

と聞くと、
「…うちは格安なので、満室なんですよ。」
「今日は満室で…隣は空いていると思いますが。」
「予約を頂かないと…お布団を敷いたり準備もありますので…。」
「素泊まりとか、そういうのはやっていないんですよ…。申し訳ございません。」

軒並み4タテを喰らった。
布団ぐらい自分で敷いてやるっつーのに。
まあ、びしょ濡れで小汚ないバックパッカーに夜遅く門を叩かれても当然の対応なのかもしれない。僕が宿の人だとしても追い払いたいと思うだろう。
聞くとこの時間で開いているかもしれないビジネスホテルが伊東(25キロ先)と、河津にあるという。
こっちはその河津から這う様にして今やっとたどり着いた所だっつーのに、また自転車で戻れるかコンニャロー!!
……とは言わず、ハラワタが煮えくり返りながらも紳士的に立ち去った。宿の名前は伏せておいてやる。
まだ晩メシも食ってないのに、こっちがクラゲの晩メシになってはたまらない。

自動的に、今夜の宿は決まった。

もう一つのツールド東伊豆 ベンチ

ここらへんの駅は、夜になると無人駅になる様だ。トイレで身体をざっと洗い、やっと一息ついた。
今夜の夕飯、湿った揚げせんべいをボソボソとかじりながら、これからどうするか考える。
ああ…おとなしく熱海で泊まっときゃ良かったなあ……もうこんなとこ二度と来るか!

完全に自分のせいなのに、これは八つ当たりというものである(ちびまる子ちゃんのナレーション風)。

今週はいつも以上に睡眠不足だったが、蒸し暑くてなかなか寝つけず、意味なくフラフラ歩いてみたり時刻表を調べたりした。
何よりも、蒸れたパンツが気持ち悪かった。
昭和の名作漫画、男おいどんと自分が重なった。

それでも深夜、身体中ガリガリ掻きむしりながらもだんだんまどろみ落ちていく。
虫に刺されて全身が山岳賞模様になっていくのを感じながら…。

7/6(土)

5時ごろ目が覚めた。三時間くらいは眠れた様だ。
始発まではあと一時間ほどあり、まだ夜も明けていない。
こんなところでうだうだしていたくないし、ちょっとでも走って目を覚ますか!
これが更にやらかしちゃうことになるとしてもいい、少しでも前に進もうと決めた。

坂をくねくね登り、135号線に出た。
朝もやの温泉街を見下ろす眺めは、とても幻想的だった。荒廃した近未来都市のように見えた。
ある作家が「初めてモナコに行った時、熱海に似ているなと思った。」と言っていたのを思い出した。

もう一つのツールド東伊豆 早朝熱川

さあ新しい一日が始まる。気持ちもリセットしていこう。
数時間前にはハラワタ煮えくり返った町だったが、今はこう言おう。
アリガトウ、熱川。
また来るぜ、今日。

第3ステージのゴール地点であるコンビニを通り過ぎ、第4ステージは135号線をひたすら北上するだけだ。
河津から熱川までも結構アップダウンがあったが、ここから先の海岸線も平坦ではない。ギア比はフリーで2.8ぐらいがいいかな?
まだこりずに作戦を考えていた。

夜が明けてきた。
朝焼けと夕焼けの時間帯を「マジックアワー」とよぶと聞いたことがある。

もう一つのツールド東伊豆 マジックアワー

漁師町を照らす朝焼けはすごくきれいだった。

この風景に出くわせただけでも、
昨日から前乗りして良かった、
一人だけのツール・ド・東伊豆はこの為にあったんだ……!
と思えた。
走りながら、無意識に「きみだけのマジックアワー」という歌が口をついて出た。

♪じょうずに出来るかってことじゃな~~い

「ぼくだけのマジックアワー」
じょうずに出来なかったが、もうすでに愉しいレースになった。

もう一つのツールド東伊豆 ペダリング

当日の集合時間は熱海駅に朝8:00。
レースというものは、スタートする時にはすでに勝負がついているものなのかもしれない。
もし熱海駅前に布団が敷いてあったら、横になって5秒で眠れるだろう。誰が一番早く眠れるか競争だったら優勝する自信がある。
シュワシュワの頭でそんなことを考えた。

伊東駅にフラフラとたどり着いたのが7:00。
熱海まではあと21キロほどあるようだ。一時間で走るにはちょうどいい距離だ。普通のコンディションなら(苦笑)。
そして電車だとあと5駅。

僕は駅のベンチでタオルを乾かしながら、缶ジュースをたてつづけに3本ぐいっと飲み干した。

朝日を横から浴びて、ミドリビンカがギラリと輝いていた。

もう一つのツールド東伊豆 自転車 朝日

僕のツール・ド・東伊豆はここで終わった。